あ行


あした
(2004年8月23日)
あすなろ
(2004年8月3日)
あっぱれ
(2004年8月9日)
いとおしい
(2004年7月14日)
いなずま
(2004年8月5日)
いほうじん
(2004年6月3日)
いろどりづき
(2004年9月1日)
うつせみ
(2004年7月15日)
えんてい
(2004年8月24日)
おとぎばなし
(2004年8月12日)
おみなえし
(2004年9月9日)
おめでとう
(2004年7月16日)
おもはゆい
(2004年5月14日)
おんがん
(2004年6月16日)

               『明日』(あした)   

 ☆------------------翌日、次の日---------------
 
 
 
 『あした』とは、もともと、朝という意味でした。
 
 
 それが、中世以降、前夜に“特別なこと”があった次の朝を、さすようになり、
 やがて、翌日という意味で使われるようになったそうです。
 
 “特別なこと”には、男女の間のさまざまなことも、天災などのよくないこと
 も含まれますが、特別な気持ちで迎える朝を、『明日』と呼んだのですね。
 
 
 
 私たちの細胞は、日々生まれ変わっています。
 昨日のあなたは、今日のあなたと同じではありません。
 
 そう思えば、新しく迎える朝は、毎日が、特別な朝と言えるのではないでしょ
 うか。
 
 
 
 漢字で“明るい日”と書きますが、太陽が明るく照っている時間ということで、
 明るい一日という意味ではないそうです。
 
 それでも、やがて迎える日を、“明るい日”と書くことができるなんて、
 こんな幸せはありませんね。
 
 
 今まで、どれだけの人が、祈るような思いをこめて、『明日』と書き記して
 きたことでしょう。
 
 
 あなたの『明日』も、どうか明るい日でありますように・・・。

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               『翌檜』(あすなろ)   

 ☆-------------ヒノキ科の常緑高木、ヒバ----------
 
 
 
 「あすは檜になろう、あすは檜になろうと一生懸命考えている木よ。」
 
 井上靖の「あすなろ物語」の一節です。
 
 
 檜に似ていて、「あすは檜になろう」と思っているから、『あすなろ』。
 
 ところが、この説、実は、俗説なんだそうです。
 
 
 ただ、語源に関して、いろいろ説はあるものの、決定的なものはないようです
 ね。
 
 やはり、この俗説が、一番、日本人に愛されるのではないでしょうか。
 
 
 
 「あすなろ物語」では、“決して檜になれない悲しい木”というニュアンスで
 描かれています。
 
 しかし、明日を夢みて生きていく自分の姿を、『翌檜』に重ねて、心の励みに
 している人も多いはず。
 
 私も、『翌檜』を見るたびに、力が湧いてきます。
 
 
 悲しい木なんかじゃない。
 
 夢を追い続けることができる自分がいて、その上、その姿に感動する人々が
 いる。
 それだけでも、すばらしいことですよね。

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               『天晴れ』(あっぱれ)   

 ☆----------------すばらしい、お見事!-------------
 
 
 
 『天晴れ』と書きますが、当て字です。
 
 もともとは、「あはれ」。
 
 「あぁ・・・」とか「あれ〜」などと同じ、自然に口から出てくる感嘆詞でした。
 
 
 ですから、感動した時だけでなく、うれしい時も、悲しい時も、「あはれ」と
 叫んだり、つぶやいたりしていたんですね。
 
 
 その「あはれ」を強調して言ったのが、『あっぱれ』。
 
 「あっあぁ・・・」とか、「あっれ〜」という感じですね。
 
 やがて、こちらは、賞賛する時だけに、使われるようになりました。
 
 
 一方、「あはれ」の方は、「哀れ」(あわれ)として、今も使われていますね。
 
 
 感嘆詞は、心を、最も素直に表している声です。
 こんな言葉を叫ぶ時が、いちばん、気持ちがいいですね。
 
 
 高校野球、オリンピック・・・。感動する機会が増えてきました。
 
 世界の中心で、『天晴れ』とさけぼう!

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             『愛おしい』(いとおしい)   

 ☆-------------かわいく、大切に思うこと----------
 
 
 
 いたはし→いとほし→いとし
 
 まるで、伝言ゲームのようですね。
 
 「いたはし」つまり、「労しい」(いたわしい)が、『愛おしい』に変化して
 いったのだそうです。
 
 「労しい」とは、不憫に思ったり、気の毒に思うこと。
 
 
 “同情と愛とは違う”と言いますが、言葉の上では、同情が愛に進化して
 いったようですね。
 
 
 もうひとつ、「いとはし」つまり、「厭わしい」(いとわしい)が語源だと
 する説もあります。
 
 「厭う」は、“いたわる”という意味もあるのですが、一般には、嫌うとか
 嫌がるという意味ですねよ。
 
 
 まさに、“嫌い嫌いも好きのうち”なんですね。

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               『稲妻』(いなずま)   

 ☆-------------雷の放電によって空を走る光----------
 
 
 
 雷の多い年は、豊作だと言われます。
 
 これは、科学的にも証明されるそうですね。
 (空気中の窒素が、『稲妻』によって、吸収されやすくなるとか・・・)
 
 
 ですが、昔の人は、雷様には、稲をはらませる力があるのだと思いました。
 
 
 古代は、夫のことも、妻のことも、「つま」と呼んでいたんですね。
 
 “稲の夫”という意味で、「いなつま」、にごって、『いなづま』と言うよう
 になりました。
 
 
 ですから、漢字も、「稲夫」が正しいのですが、江戸時代頃から、間違って
 「妻」の字が当てられていたそうです。
 
 
 
 はるかに広がる、一面の水田。
 その空に、一瞬、ぴかっと走る稲光。
 
 それは、天と地との壮大なカップルが結ばれた瞬間だったんですね。
 
 
 そして、その愛の結晶である稲を、糧として、ずっとずっと、私たちは生きて
 きたんですね。

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            『異邦人』(いほうじん)   

 ☆-----------------外国人---------------
 
 
 
 歌や小説のタイトルなどで、おなじみですね。
 
 
 「邦」という漢字には、国という意味もあるので、そのままなんですが、
 『外国人』というより、エキゾチックなムードがただよいますね。
 
 
 “異なる”ということろに、ポイントがおかれているからでしょうか?
 
 
 久保田早紀の、『異邦人』という曲も、はじめは、『白い朝』というタイトル
 だったそうです。
 
 やはり、『異邦人』だから、ヒットしたんだと思いませんか?
 
 
 
 『異国人』ということばもあります。
 
 こちらも、見知らぬ国のような感じがします。
 
 
 
 世界の距離が縮まってきた現代、単に“ほかのくに”として区別している、
 「外国人」という言い方が、一般的になってきたのも、当然かもしれませんね。
 
 
 さらに、距離が縮まって、世界がひとつになれば、「外国人」という言い方も、
 変わっていくのでしょうか。
 
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            『色取月』(いろどりづき)   

 ☆-----------------9月の異称---------------
 
 
 
 9月も、いろいろな呼び名で呼ばれてきました。
 
 「長月」は、夜が長くなることから、こう呼ばれるようになったそうです。
 “秋の夜長”と言いますね。
 
 
 夜が長ければ、夜中に目覚めることも多くなります。
 そこから、「寝覚月」(ねざめづき)という言葉も生まれました。
 
 
 菊の花の季節ということから、「菊月」、「菊見月」、「菊開月」。
 
 稲を刈ることから、「稲刈月」、「小田刈月」。
 
 
 今の暦では、少し早いのですが、旧暦では、秋まっさかり。
 
 木の葉も色づき始めるので、「紅葉月」、そして、『色取月』という呼称も
 生まれました。
 
 
 まだ、日中の暑さは残るものの、台風一過の空は、抜けるように真っ青。
 
 まだ咲き残っている夏の花々に加えて、秋の花が咲き始めます。
 
 
 昔とは違った意味で、この時期、彩り豊かな月と、言えるかもしれませんね。
 
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              『空蝉』(うつせみ)   

 ☆--------------蝉の抜け殻のこと-----------
 
 
 
 手にとると、ふわっと軽くて、少し力を入れれば、かさかさと潰れてしまい
 そうな危うさ。
 
 しかし、とても美しいとは言えないこの蝉の抜け殻を、こんなに美しい言葉で
 呼ぶ日本人が、大好きです。
 
 
 この世に生きている人や、現世のことを、「うつしおみ」(現身・現人)
 と言っていましたが、これが転じて、「うつそみ」→「うつせみ」となり、
 『空蝉』にかけたようです。
 
 
 蝉が何年も土の中で過ごし、ようやく脱皮して鳴けるようになっても、数日
 しか生きられないのは、ご存知の通り。
 
 そのはかなさと、この世のはかなさを、昔の人は重ね合わせたのでしょうね。
 
 
 はかなくても、空しくても、精一杯生きるのは、蝉も人も同じ。
 
 今日も、全身全霊の声で、蝉が鳴くことでしょう。

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              『炎帝』(えんてい)   

 ☆---------------夏をつかさどる神------------
 
 
 
 古代中国では、
 
 春は「青帝」(せいてい)又は「蒼帝」(そうてい)・・・木の神
 夏は「赤帝」(せきてい)又は『炎帝』(えんてい)・・・火の神
 秋は「白帝」(はくてい)            ・・・金の神
 冬は「黒帝」(こくてい)又は「玄帝」(げんてい)・・・水の神
 
 が、つかさどると言われました。
 
 日本の夏には、「赤帝」より、『炎帝』の方がぴったりきますよね。
 古来、『炎帝』の方が、親しまれてきたようです。
 
 
 
 ところで、今年の夏は、『炎帝』様、絶好調のようですね。
 
 元祖“燃える男”といったところでしょうか。
 
 これだけの情熱を、ストレートにぶつけることができるんですから、
 うらやましいですね。
 
 
 溢れる情熱を、思いっきり、何かにぶつけて、完全燃焼したい・・・
 そんな思いを、実現してみせる『炎帝』。
 
 
 『炎帝』のパワーと情熱を、全身で受け止めてみるのも、ひとつの夏の過ごし
 方ですね。
 
 どうか、悔いのない夏を・・・。

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              『御伽話』(おとぎばなし)   

 ☆---------------子供に語って聞かせる昔話や言い伝え------------
 
 
 
 「御伽」とは、元々、身分の高い人の寝床に入って、お相手をすることでした。
 
 お相手といっても、いろいろありますが、やがて、重要視されていったのが、
 お話のお相手です。
 
 
 戦国時代以降になると、御伽衆といわれる職ができますが、ほとんど男性です。
 (男色=homosexualの大名も多かったようですが・・・)
 
 諸国の情報を伝えたり、雑談の相手をするようになりました。
 
 
 テレビも新聞もない頃、情報や、知識がいかに重視されたかということですね。
 
 
 
 子供相手の話を意味するようになったのは、明治時代以降のことと言われます。
 
 
 
 大切な人の枕もとで、交わされた、さまざまな言葉が、『御伽噺』のはじまり。
 
 
 とすれば、子供に読んで聞かせる絵本や、お話の内容だけが、『御伽噺』では
 なく、お母さん、お父さんの、一言一言が、『御伽噺』なんでしょうね。

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               『女郎花』(おみなえし)   

 ☆-----------夏から秋にかけて咲くオミナエシ科の多年草--------
 
 
 
 9月2日に取り上げた、「撫子」(なでしこ)と同じ、秋の七草のひとつですね。
 http://backno.mag2.com/reader/Back?id=0000130676
 
 
 『女郎花』の語源については、いろいろな説があるようです。
 
 「女郎」(おみな)は、女性という意味なんですが、「えし」の解釈がそれぞ
 れなんですね。
 
 
 「女郎圧し」(おみなえし)=そばにいる女性を圧倒するほど、美しいから。
 
 「女郎滅し」(おみなへし)=そばにいる女性の美しさを減らしてしまうから。
 
 「女郎べし」=女性だと思われる花(“べし”は推量の助動詞)
 
 「女郎飯」(おみなめし)=花が、粟飯に似ていることから。
 粟飯は女性の主食なので女飯と呼ばれ、白米は男飯と呼ばれていたとか?
 
 
 ところで、「男郎花」(おとこえし)という花もあるんですよ。
 『女郎花』の花は、黄色ですが、「男郎花」は、白。
 
 最後の説などは、この「男郎花」を意識した俗説のようです。
 
 
 「男郎花」の方が、力強い感じがするといわれるのですが、いかがですか?
 
 
 
 いずれにしても、「撫子」が、かわいい女の子なら、『女郎花』は大人の女性。
 
 どちらも、それぞれに、魅力的ですね。

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               『おめでとう』  

 ☆-----------------祝福の言葉-----------------
 
 
 
 今日は、ちょっと趣の違った言の葉をお送りします。
 
 
 『おめでとう』は、「めでたし」の変化したものに、丁寧語の「お」をつけた
 ものですね。
 
 「めでたし」には、「目出度し」や、「芽出度し」などの漢字を当てますが、
 元々は、「愛でたし」なんだそうですよ。
 
 
 つまり、“愛したい”。
 
 
 祝福の言葉として定着した、『おめでとう』は、“あなたを愛したい”という、
 とっても心のこもった言葉なんですね。
 
 ですから、喜ばしい時以外にも、美しい、すばらしい、おいしい・・・などと
 いう意味でも、使われますよね。
 
 
 『おめでとう!』・・・言う方も言われる方も幸せになれる、素敵な言葉です
 ね。

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            『面映い』(おもはゆい)   

 ☆-----------気恥ずかしい、きまりが悪い---------
 
 
 
 「面(おも)」は顔、「映い(はゆい)」は、照り輝いてまぶしいこと。
 
 まぶしくて、顔がほてるような感じになる状態ですね。
 
 
 
 「顔映い(かおはゆい)」とも言いました。
 
 それが転じて、「かわゆい」→「かわいい」になったそうです。
 
 昔の人は、恥ずかしがっている様子を、「かわいい」と思ったのでしょうね。
 
 
 恥ずかしいとかわいいが同じ語源だなんて、面白いですね。
 
 今では、恥ずかしがらなくても、かわいいと言ってもらえますが・・・。
 
 
 
 日本の文化は、恥の文化だと言われたこともありました。
 今は、どうなんでしょうね。

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                『温顔』(おんがん)   

 ☆-----------おだやかであたたかみのある優しい顔---------
 
 
 
 何かあった時、笑顔は作ることができますが、温顔は、その人に備わったもの。
 
 何もないときの表情にこそ、その人の本当の姿が映し出されるものですね。
 
 
 
 『温顔無敵』という言葉があります。
 
 温顔にかなわないものはない・・・。
 
 
 イソップ物語の、「北風と太陽」のお話を、思い起こさせますね。
 
 
 「愛は勝つ」という歌がありましたが、“最後に温顔は勝つ”んですね。
 
 
 
 いとおしいものを見る時、誰でも温顔になります。
 
 そう、その時の顔が、あなたの一番素敵な表情ですよね。

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