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かささぎのはし
(2004年7月7日) かぜまちづき (2004年6月1日) かんこどり (2004年6月29日) きしょく (2004年5月25日) きちょうめん (2004年7月12日) きら (2004年5月21日) きんしつ (2004年6月23日) きんせん (2004年5月6日) くもま (2004年6月8日) げきりん (2004年5月6日) こいおしえどり (2004年8月4日) こいごろも (2004年7月26日) こいわすれぐさ (2004年5月7日) こころばえ (2004年9月8日) こんぺいとう (2004年8月11日) |
『鵲の橋』(かささぎのはし) ☆---------七夕の夜、天の川にカササギが翼を広げて作る橋-------- みなさんは、織姫と彦星が、どのようにして、天の川を渡るか、ご存知でした か? 7月7日の夜、カササギがどこからともなくたくさん飛んできて、翼を広げて、 橋を作ってくれるんだそうですよ。 なんてロマンティックなんでしょうね。 熟語にして、「鵲橋」(じゃっきょう)とも言います。 天の橋ということで、宮中の階段のこともこう呼ぶそうですが、もうひとつ、 男女の仲を取り持つという意味でも使われます。 いずれにしても、渡ってみたい橋ですよね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『風待月』(かぜまちづき) ☆------------------------6月の異称--------------------- 蒸し暑い日が続きます。 風を恋しく待つ気持ちになりますよね。 6月の異名といえば、『水無月』ですが、語源に関しては、諸説あるようで、 ・水も枯れ尽きるから(旧暦6月は、夏の盛り) ・田に水をひく月なので「水な月」(“水の月”という意味) “無”は当て字 ・雷が多いことから、「かみなり月」が「みなづき」になった・・・など。 他にも、6月の異称は、いろいろあります。 涼暮月(すずくれづき)、蝉羽月(せみのはづき)、鳴神月(なるかみづき)、 松風月(まつかぜづき)、夏越月(なごしのつき)・・・。 どれも、美しい呼び名ですね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『閑古鳥』(かんこどり) ☆-------------------カッコウ(鳥)の別名--------------------- ご商売をなさっている方にとっては、聞きたくもない鳴き声ですね。 でも、この『閑古鳥』、童謡などで親しまれている「カッコウ」のことなんで すよ。 「かっこうどり」に、漢字を当てたものだそうです。 いかにも、わびしく、さびれているような漢字を当てられて、カッコウもいい 迷惑ですね。 カッコウの鳴き声は、静かな湖畔の森蔭・・・というイメージ。 にぎやかな街中には、寄り付かないそうです。 そういったことから、「閑古鳥が鳴く」→「人が集まらなくて、閑散として いる」ということになってしまったんでしょうね。 本当は、閑古鳥の鳴き声も、鳴く場所も、心を癒してくれるすてきなもの なんですけどね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『喜色』(きしょく) ☆--------------------うれしそうな顔つき--------------------- 顔に浮かべる色も、いろいろありますね。 喜色の反対は、憂色(ゆうしょく)=心配そうな顔つき。 他にも、愁色(しゅうしょく)=悲しみに沈んだ表情、 朗色(ろうしょく)=ほがらかな表情 怨色(えんしょく)=うらんでいるような顔つき 生色(せいしょく)=生き生きした顔色 難色(なんしょく)=難しい顔つき・不賛成だという様子 顔色を失う場合も、なくなる場合もあります。 まさに、心を映すキャンバスですね。 喜色満面とはいかなくても、生色を取り戻し、朗色を浮かべていたいですよね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『几帳面』(きちょうめん) ☆------1.きちんとしていること 2.柱などの角を削る技術のひとつ------ みなさんは、本物の『几帳面』を見たことがありますか? 建築用語で、柱などの角を削ることを「面取り」と言うのですが、いろいろ ある面取りの種類の中でも、『几帳面』は、手の込んだ細工です。 縦にもう一本筋を入れるように、さらに刻み目を入れたもので、平安時代の 几帳に用いられたため、こう呼ばれるようになったそうです。 几帳は、ご存知ですよね。 「源氏物語絵巻」などに描かれている、3、4尺(約91cm、121cm)の柱に 布をたらしたものですね。 誰でも、たらした布の色や模様に目を向けて、柱の削り方にまで気がつく人は、 ほとんどいないと思います。 そこにこだわって、丁寧な細工を施す・・・職人さんのこだわりですね。 使い慣れた『几帳面』という言葉ですが、現代人が忘れがちな、なかなか 真似の出来ない、職人魂がこめられている言葉ですね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『綺羅』(きら) ☆---------------華麗な衣装・はなやかなこと------------------- 「綺」は綾織りの絹、「羅」は薄い絹織物のことです。。 かつて高貴な人々が身に付けた、美しい衣装を思い浮かべてみてください。 美しく装うことを「綺羅を飾る」「綺羅を磨く」などと言います。 「綺羅星」(きらぼし)という言葉も、美しい言葉ですね。 もとは、「綺羅、星のごとく〜」で、「綺羅星」で区切るのは間違いだそう です。 綺羅を身にまとった人々が、星のようにたくさんいるという意味ですが、 立派な人や、美しい人になぞらえて使われるようになりました。 まさに、「地上の星」ですね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『琴瑟』(きんしつ) ☆---------------小型の琴と大型の琴------------------- 日本で一般に「お琴」と呼ばれている楽器は、本当は、「筝」(そう)です。 その「筝」より大きく、弦も多いのが、「瑟」(しつ)。 「琴」(きん)は、5〜7弦の小型のものを指します。 その「琴」の伴奏楽器として、「瑟」が使われるのだそうです。 「琴瑟の調べ」「琴瑟の交わり」など、たいていは仲のよい例えに使われます が、「琴瑟調わず」といって、うまくいかない時にも使うんですよ。 でも、『琴瑟』とくれば、やはり、「相和す」(あいわす)と続けますよね。 この言葉のすばらしいところは、どちらかが合わせているのではなく、お互い が、合わせているというところです。 お互いの言葉に耳を傾けることが、うまくいく秘訣だよと言いたいのでしょう。 言葉のちょっとしたところに、奥深いヒントが潜んでいたりするものですね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『琴線』(きんせん) ☆---------------1.琴の糸 2.共鳴する心------------------- 琴線に触れる=心の奥深く、感動させる・・・ 心の中に楽器があるという発想は、とっても素敵ですね。 琴があるというと、ピンと来ないかもしれませんが、中国語では、 ピアノのことを鋼琴、バイオリンのことを小提琴と言うそうです。 これなら、イメージが湧きますか。 ただ、口に出して言うと、「きんせん」という音は、イマイチですよね。 英語では、どういうのかと思って調べてみたら、 touch the right chord 「chord」は、弦のことですから、ほとんどそのままですね。 どこの国にも、心の中に楽器を持っている人はいるようです。 あなたの心の楽器は、いい音を奏でてますか? (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『雲間』(くもま) ☆---------------------雲の切れ目--------------------- 他に、「雲の絶え間」という言い方もあります。 「雲間の太陽」「雲間の青空」「雲間の月」・・・ 雲間からは、いろいろな物がのぞきます。 特に、雲間から差し込む幾筋もの光は、「天使のはしご」(「ヤコブの梯子」) と呼ばれ、 大変、感動的ですね。 そうそう、「雲間草」というのもありました。 高山植物で、花の時期は1月頃ですが、ピンク色のかわいい花が咲くようです。 どんよりとした雲が空を覆う季節・・・ ただ、雲があってこそ、美しく感じられる風景もたくさんあるのですね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『逆鱗』(げきりん) ☆--------龍のあごの下に一枚だけ逆さまに生えているウロコ----- 龍は、人を背中に乗せるほど、おとなしい動物だが、このウロコに触れたが 最後、怒り狂って人を殺すという伝説。 中国の「韓非子」に載っているこの故事が、「逆鱗に触れる」という言葉の 語源です。 龍は天子の象徴なので、もともとは、「逆鱗に触れる」というと、天子や帝王 を激しく怒らせることでした。 やがて、目上の人を怒らせることにも使われるようになりましたが、今では、 誰にでも使うようですね。 しかも、最近は、逆鱗所有者?の低年齢化が、目立つようになってきました。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『恋教え鳥』(こいおしえどり) ☆-----------------鶺鴒(せきれい)の異称---------- まずは、「日本書紀」より、日本の国を創られた神様の、ほほえましい?お話 から。 伊佐那岐(いざなぎ)と伊佐那美(いざなみ)の二人の神様は、結婚したもの の、どうしたら子供ができるか、わからなかったそうです。 その時、鶺鴒が飛んできて、交尾を始めたそうな・・・。 それを見て、二人も、無事、結ばれました。 めでたし、めでたし・・・。 このことから、鶺鴒は、『恋教え鳥』とか、『恋知り鳥』と呼ばれるように なりました。 え・・・。教えたのは、恋じゃないんじゃないの? って、つっこみたくなりますね。 でも当の、鶺鴒、つがいになれば、相手を変えず、とっても仲がいいそうです。 もしかしたら、本当の恋の秘訣も知っているのかもしれません。 小さな命から、教えられることって、たくさんありますものね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『恋衣』(こいごろも) ☆----心から離れない恋の想いを、いつもまとっている衣服にたとえた語---- “『恋衣』をまとっている・・・” 恋をしている人を、優雅に言い表した、表現ですね。 ところで、「恋」は、「来い」なんですよ。 別に、シャレをいってるのではありません。 古くは、人に限らず、土地・季節・植物など、自分から遠く離れている物事を、 思い慕う気持ちを言いました。 つまり、“自分のそばに来てほしい!こっちへ来い!”・・・そんな気持ちが 「恋」なんですね。 だから、身近な存在になった時、恋が冷めてしまうのも、当然のことと言える でしょうね。 『恋衣』も知らず知らずのうちに、脱ぎ捨ててしまっているもの。 そこから、着飾らない者同士の、新しい物語が始まるのですね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『恋忘れ草』(こいわすれぐさ) ☆-----カンゾウ(萱草)のこと。つらい恋を忘れさせてくれると言われる----- 漢方薬で使われるカンゾウ(甘草)と同じ名前ですが、甘草はマメ科、 萱草はユリ科の植物です。 万葉集の時代から、歌にたくさん詠まれてきました。 何年経っても、人はつらい恋をするのですね。 さて、恋忘れ草の効き目の程はどうなのでしょう。 “ 忘れ草、我が下紐(したひも)に、付けたれど、醜(しこ)の醜草(しこくさ) 言(こと)にしありけり” という大伴家持の歌が万葉集に載っています。 ---忘れ草を下着の紐につけたけど、ひどい草だ!全然違うじゃないか!--- 醜の醜草とは、よほど腹に据えかねたのでしょう。 実際の、恋忘れ草は、今頃から夏にかけて咲く、美しい花です。 そうそう、『恋忘れ貝』というのもありました。 昔は、恋を忘れたい人が多かったんですね。 今なら、恋咲草や、恋呼貝なんかの方が、欲しがられるかもしれませんね。 (恋忘れ草の写真は、こちらから・・・)↓ http://plaza.rakuten.co.jp/yumenokotonoha/ (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『心延え』(こころばえ) ☆---------------心の内面が外に現れること--------------- 美しい言葉なのに、最近、使われなくなった言葉のひとつですね。 『心延え』の「延え」は、繰り延べるという意味。 外に押し出されるようにして表れた、心の内面のことですね。 最近、『心延え』という言葉を、思い出した出来事がありました。 みなさんも、よくご存知と思います。 アテネオリンピックの男子マラソンでのこと。 トップを走っていた、ブラジルのデリマ選手が、突然飛び出してきた人に妨害 されて、ペースを乱されたにもかかわらず、走り抜いて、銅メダルをとったの でした。 悔しさや怒りをあらわにしても、当然のはずなのに、彼は、素直に銅メダルを 喜び、誰かを責めるどころか、感謝の気持ちすら、あらわしていました。 デリマ選手の表彰台での、すばらしい笑顔は、世界中を感動させましたね。 その後、特別のメダルを授与されることになったり、各国から招待を受けたり、 金メダルをとった選手より、有名になってしまいました。 彼の『心延え』が、銅メダルを、金メダル以上の輝きに変えたのですね。 ハプニングや、災難は、いつ、ふりかかってくるか、わかりません。 そんな時に、ふっとのぞく、『心延え』。 もっと大切にしたい言葉だと思います。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) 『金平糖』(こんぺいとう) ☆--------細かい突起のある、色とりどりの砂糖菓子-------- 色といい、形といい、かわいいお菓子ですね。 一粒、口に入れるだけで、夢がひろがる気がします。 16世紀、ポルトガル人によってもたらされました。 宣教師ルイス・フロイスが、織田信長に献上したという記録もあります。 ポルトガル語で、「コンフェイト」。 それに、漢字を当てたものが、『金平糖』です。 すっかり、日本語に溶け込んでいますが、もともとは、日本のお菓子では なかったのですね。 他にも、煙草(たばこ)、南瓜(かぼちゃ)、天麩羅(てんぷら)、如雨露 (じょうろ)、襦袢(じゅばん)なども、ポルトガル語が、語源だそうです。 当て字といえども、漢字に工夫があって、わかりますよね。 今なら、そのまま、カタカナで取り入れてしまうところでしょう。 カタカナも立派な日本語ですし、当て字にも問題があります。 でも、あまりにも、カタカナ語が氾濫してしまった現代・・・。 昔の人々が、こんな方法で、外国の言葉を、丁寧に取り入れてきたということ は、忘れないでおきたいですね。 (←ホームに戻る) (↑このページのトップに戻る) |