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『眼差し』(まなざし)
☆-----------------目の動きや表情---------------------
「目差し」とも書きます。
「視線」や「目つき」と同じような意味ですが、
「目つき」→「視線」→「眼差し」の順に、好感度はアップしていきませんか。
「眼差し」の場合は、目に込められた表情に、ポイントがおかれるのだそう
ですよ。
「眼差し」には、心が伴うわけですね。
人は、いつも、誰かの「眼差し」を無意識のうちに、感じて生きていくもの
なのかもしれません。
たとえば、親? 異性? 世間一般の人々? いえいえ、自分自身?
その「眼差し」は冷たい眼差しでしょうか?
温かい眼差しでしょうか?
冷たくしているのも、温かくしているのも、自分自身かもしれませんけどね。
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『真帆片帆』(まほかたほ)
☆-------帆をいっぱいに張ったり、寄せたりしながら帆走している様子-------
『真帆』は、順風の時、帆をいっぱいに張り、追い風で走ること。
『片帆』は、横風の時、帆を一方に片寄らせて走ること。
『真帆片帆』と並べると、それらを、操作しながら、帆走している様子ですね。
語呂がいいので、民謡や、俳句などには、よく出てきます。
〜涼しさや 淡路をめぐる 真帆片帆〜 (正岡子規)
かつての日本の海では、こんな風景が、いつでも見られたのでしょうね。
人生も、順風の時ばかりではありません。
逆風の時、風向きの悪い時は、まともに受けず、帆を半分にして、受け流して
いくことも、ひとつの知恵ですね。
たとえば、心の中で「真帆片帆、真帆片帆・・」と、繰り返しながら・・・。
語感のいい、美しい響きが、心の中に広がって、
また、すぐ追い風が吹いてくる・・・
そんな気がしてきますよ。
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『無限大』(むげんだい)
☆-----------------限りなく大きいこと---------------------
日常でもよく使われる言葉ですが、数学では、どんな数よりも大きな数
ということだそうです。
どんな数よりも大きい訳ですから、具体的な値はありません。
具体的な値があればそれより大きな数よりは小さくなってしまい、定義に
反してしまうからです。
また、無限大が二つ以上あるとき、それらの間に大小関係はなく、「∞=∞」
とも言えない・・・
数学のことはよくわかりませんが、まるで、哲学的の世界のような感じが
するのは私だけでしょうか?
何だか、ひとりひとりの可能性にも通じるような気がします。
夏目漱石の小説「三四郎」の中の、こんなセリフを思い出しました。
「熊本より東京は広い。
東京より日本は広い。
日本より頭の中の方が広いでしょう。」
ひとりひとりの頭(心)の中は、自分で壁さえ作らなければ無限大ですね。
比べることもできなければ、イコールでもない。
そして、夢も無限大。
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『愛逢月』(めであいづき)
☆-------------------7月の異称---------------------
「七夕月」(たなばたづき)、「七夜月」(ななよづき・たなやづき)、
そして、この『愛逢月』、どれも、七夕にちなんだ呼び名です。
「文月」(ふみづき)の語源も、諸説あるようですが、一説には、短冊に、
歌や字を書いた、七夕の行事から、「文披月」(ふみひろげつき・ふみ
ひらきづき)。
それが転じて、「文月」となったと言われています。
7月といえば、七夕だったのですね。
その他には、
「穂見月」(ほみづき)・・・稲穂のふくらみを見る月
や、咲く花から、
「蘭月」(らんげつ)、「葵月」(あおいづき)、「女郎花月」(おみなえし づき)、「菖蒲月」(しょうぶづき)・・・
7月の異称は、たくさんあります。
そして、「秋初月」(あきはづき)。
陰暦では、7月から、秋が始まったんですね。
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